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1981年(昭和56) 7月19日その後7年にわたって続く、松阪市内のレストラン「ソワレ」で       ライブの初日。コンボ、フル、ダンモ、シーデキ等なんでもありだった。
そして、この日「レイクス通信」が誕生した。
8月23日・9月13日・20日ソワレでライブ。

7月19日の「THE・RAKESだより」第1号によると、毎月第1・3日曜に練習し、その第3日曜の夜「サンデーナイト・ライブ・イン・ソワレ」をやり、レイクスもこれに出演していた。その第1回が前号で書いたもので、この日は1時から4時半まで練習と曲選び、休憩と食事をすませて7時から8時半までアンサンブルの練習など。そして店の客が途絶える9時からライブというハードスケジュール。なお第1日曜はフルバンのないライブ。ということは月に2回のライブ。このライブがその後7年間続くことになり、ライブハウスなどのない時代、三重県中からジャズ好き人間が松阪に集まったし、レイクスが県内最初のビッグバンドという由縁である。8月の2回目のライブを終えた9月6日の通信「第2号」には、ライブは大好評と書いてある。

9月6日通信の「第2号」に「実現するか!広島遠征!」とあり、「第3号」では広島遠征が10月10・11日に決定し、メンバーの確定を急ぐと書いている。練習も参加しにくい人のことを考え、隔週から毎週日曜日に変更。昼・夕・夜と3段階に分け、いずれかに参加するよう促している。ある日「ジャズライフ」を見た鈴鹿高専1年生のドラムが遊びに来た。これが上手い! また違う日、津高校のsaxの子が「買った楽器の調子が悪いので」と来た。

広島遠征を控えた1981(昭和61)年9月27日の「通心第4号」に次のような漢詩が載せられた。

    愈愈来迫広島演奏 一切民衆石投歓迎

     快快秋風熱中習練 酒色中絶頑張廊下

「いよいよ広島での演奏が近づいた。現地の村では人々が石を投げて歓迎するだろう。秋風も快いので練習にも熱がはいる。酒も色も絶つほどに頑張ろう」とまったくナンセンス。
10月11日広島県府中市民会館での「ジャズコンサート」ゲスト出演はこうして実現した。その時のメンバーは

Sax:馬場、早川、二之夕、長谷川、西口

Tp :池田、中林、加藤

Tb :片山、広田、片岡

Drs:殿本、鈴木

Bass:辻

Gt :古立

Piano:幸田  

Vo:古立亮子

「第5号」(10/18)には広島遠征のレポートが詳しく報告されている。「府中は、周辺を高くはないが美しい山々に囲まれた風光明媚にして気候温暖、その人情は誠に細やかな土地柄だった・・。なぜか若いナオンのいない町だった。(以下省略)」

続く

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