No 5

1991(平成3)年

「20号」(8月8日)

西口嘉矩の「もういっぺんやろやないけ」の言葉でレイクスが復活し、レイクスノ生き残りを中心に「鈴鹿リハーサルバンド」を 編成し、6月12日の鈴鹿けやきホールでの「三重カルチュアフ ェスティバル=ジャズ&ポップスの夕べ」に出演することになっ た。メンバーは、馬場鐐三、西口嘉矩、田辺信男、加藤信義、   竹内隆秋、中林士郎、山口治、福島智啓、山口忠一、阪井泰宣、 熊沢貢、前川理、広田芳治、増田豊、殿本正、中村徹明。

また9月8日、ゲストが猪俣猛の「梅村学園吹奏楽団第15回定 期演奏会」に出た人も。このときドラムソロがメロを歌うことが できることを知った。さらに、山口治の配慮で9月29日、10 月20日、11月17日にエキシブ鳥羽でのダンパが予定され、 12月8日には田辺信男を招いてのレイクスのリサイタル。来年 4月には「松阪音楽祭」に出演、同6月には小津昌彦バンドとジ ョイントリサイタルを。

「21号」・「22号」(9月)より抜粋。

XIVダンパを控えて、9月1日はXIVで、同14日に嬉野町 竹内。Tp.山口、長崎、福島、前田。Tb.森下、阪井、広田、 下村。Dr.殿本、Bs.中村、Pf.増田、R.石田、Gt.中村?

ギターの古立から'91.11.13.付けの手紙が来た。「いつも通 信を送ってくれてありがとう。いずれ切手代を払います。私はいまもレッスンを受けていますが、なかなか上手くなれません。近々モダンボーイへ行きます。最近飼っていた金魚が伝染病にかかり毎日1匹づつ死んでいきます。」11月15日、そのモダンボーイへ行った。モダンボーイは愛宕町の三角公園の近くにあり、ジャズを聴きながらビリヤードができるという素敵な店(今はフィリップバー)である。Dr.鈴木、Bs.辻、Tp.若林(現池田)、Gt.大西、飛び込みでGt.古立と泉(名古屋のプロ)、Vo.亮子。クーキャはTs早川とその家族、宮前、あべ静江の弟、その他で結構賑わっていた。

 「23号」・「24号」(10月)から抜粋。

9月29日のエキシブ鳥羽でのダンパの模様。満員のお客。3ステージで28曲。山口治ひとりが超多忙。予定通り10時半アウト。帰途天ぷらうどんを食べた。通信の端っこにマイルス・ディビスの死亡記事と早川和男がトレーナーを引き受けてくれたことが書いてある。
10月20日の日のメンバー。馬場、西口、宮前、竹内、村川。山口、福島、前田、谷。森下、広田、下村。殿本。中村。増田。石田.

「25号」(10月22日)

10月20日のダンパに鳥羽で開業医のTb.中瀬が飛び込み参加。この日はダンスの先生の指定でブルース→チャチャチャ→ワルツ→ジルバ→ブルース→タンゴ→ルンバ→サンバ→ブルースの順に演奏した。帰途、殿本の知人という男性がダンパの録音(MDだったと思う)を聴かせてくれた。すごくいい音で、これがレイクスかと一瞬感動したが、ときどきグチャ! ギャ!という音が。ミストーンか音の裏返りか。残念! このときの男性が、現サライのマスターだと言うことを後日知った。

いよいよ田辺信男をゲストに招いての['91.JAZZ in MATSUSAKA](12月8日.華王殿)の準備が整いだした。主催は松阪音楽文化協会で「WHY」「9・オクロック」も出演する。

「26号」(11月7日)

 新しいメンバーが紹介されている。坂下の紹介のGt.東広、モダンボーイで叩いているDr.鈴木洋、レイクス創立当時のメンバーだった野呂仁志、以前、よくレイクスへ遊びに来ていた稲垣祐史。エキシブ鳥羽でのダンパはその後も続き、12月23日、1月26日、2月23日、3月29日と予定されていた。

     「27号」(11月19日)

          11月17日のエキシブダンパのメンバー。
                                      馬場、長谷川、竹内、宮前、村川、佐藤。山口、福島、前田、                                       中林。森下、中瀬、広田。殿本、中村、坂下、羽室、東、石田                                       、野呂。

     帰途、天ぷら定食を食べた。(今はもうないと思うが)「森八」という店で、おばちゃんが気さくな人で、12月8日の「JAZZ in 松阪」に招待することになった。


「28号」(11月26日)

11月24日の三重高校での練習に初めて早川が来てレッスンしてくれた。最初にスケールをやったが、これをやらないとジャズれないという、大変な奏法だった。11月30日に、東京から田辺が来るというので、臨時に練習を計画。ところが場所がなく、野呂の世話で、松阪郵便局本局の2階の会議室を借りることに。

   「’91 JAZZ in MATSUSAKA」 12月8日、華王殿

                                 「TUXEDE JUNCTION」
                                      「I REMEMBER
CRIFFORD」
                                      「HUMPTY DUMPTY」
                                      「ALL
OF ME」「COTTONTAIK」
                                       「HARLEM
NOCTURNE」「NIGHT TRAIN」

「29号」(12月16日)

       前号以来の記録。

        11月30日 松阪郵便局で練習。田辺来松して参加。ピアノナシ。

        12月 1日 三重高校で練習。早川来て、密度の濃い練習。

        12月 7日 華王殿でリハ。早川来て、少しジャズらしくなって

きた。

        12月 8日 本番。最終的に次のメンバー。

           馬場、西口、宮前、長谷川、竹内。山口、前田、
                                         中林、福島。森下、中瀬、阪井、広田。殿本、中村、               坂下、増田、東、石田。 

            そして評価。
                                             田辺、マジで「いい音ですねー!」
                                             早川「ハラハラしたがベリーグッド!」
                                              ステージオフィスの山口「(電話で)お世辞抜きで、              すごかったですね。抜群ですよ」と。

              決算報告。  収入総額 954,890円

                                                      支出総額 896,749円

         「30号」(12月27日)

12月23日のエキシブダンパ。メンバーは馬場、西口、長谷川、 竹内、宮前。山口、前田、中林、福島。森下、中瀬、阪井、前川、福島jr.。殿本、坂下、羽室、東。音はドンドン良くなってきている。練習その他、それほどの負担にはなっていない。
この年の収支決算報告を見ると、収入合計80万円、支出合計63万円。残高17万円。信じられないがエキシブから一回D0万円もらっている。その約3分の1は参加者に還元している。支出の主な内容はネクタイ、通信費、交通費、食費など40万円。


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