No 1
No 2
No 3
No 4
No 5

No 1

(文語体で、敬称略でゴメン)
1973年10月
(昭和48)

三重県吹奏楽アンサンブル・コンテストに、県公務員の西口、高校教員の馬場、警察官の坂口と森本、津の床屋さんの川村、短大生の久保のSax六重奏で出場し最高点で優勝。このとき馬場は33歳。審査委員長が「このグループはレベルが違いすぎる」と。その直後のある日、相可高校卒業生の宮下、中村、殿本、野呂が「ジャズがやりたいとカナリヤ楽器店のマスターに相談したら紹介してくれた」と拙宅へ。合体することにし、ここにフルバンドの原型ができた。

1974年6月12日
(昭和49)

ピンキーこと今陽子と11PMで活躍中だった一谷伸江(司会)をゲストに迎えて「第1回定期演奏会」を旧三重県文化会館で開催することを計画し、本番を控えての5月5・6日、鈴鹿青少年スポーツセンターで合宿、猛練習した。この時のメンバー
Sax:馬場、西口、長谷川、神戸、川村、谷下、木下
TP:長崎、山口、堀口、山本、加藤
TB:宮下、片山、広田、山中、佐藤
Dr:殿本、野呂
Bass:中村
Gt:山田
Piano:吉田
  記念すべき演奏会に際し、一谷伸江と一緒に参加してくれたその旦那・大柿隆(編曲・指揮)が「RAKES」と命名してくれた。「放蕩息子」の意だそうだ。すべて西口の手配による。そしてその後ズーと「第2回」がナイので、このときの第1回を「不定期演奏会」と訂正。
この頃はまだ「レイクス通信」が発行されてなくて、残されていた録音テープのシールのメモから拾った。(テープは池田Tpが管理していてくれた。)

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